~asahi.com~
スーパーや百貨店で「ゴールデンベア」などのブランドを展開するアパレルメーカーの小杉産業(東証2部上場、本社・東京)は16日、東京地裁に破産手続きを申し立て、開始決定を受けたと発表した。昨年の秋以降、資金繰りに行き詰まり、スポンサー候補から支援を受けられなかったという。
負債総額は97億9300万円。破産管財人によると、今後1カ月は従業員を派遣する約940の売り場で営業は続け、その間に新たなスポンサーを探すという。契約社員を含めた社員は1340人。
小杉産業は1883年創業の老舗メーカーで、天才ゴルファーとして有名なジャック・ニクラス氏のニックネームから生まれた「ゴールデンベア」や女性向けの「マリサ・クリスティーナ」など、カジュアルウエアを製造・販売している。
また、東証は3月3日付で小杉産業を上場廃止にすると発表した。
>リキエルオムが、ソニアさんの引退などにより今季で終了する。そこで日本のライセンスを持っている小杉産業は、当初「日本だけでも」と粘り強く交渉したらしく、試作品を携えて直談判さえしに行ったそう。しかし職人気質な彼女はどんな選択肢も認めなかったそうな。舞台裏でこうして熱意ある行動をしてくれている事が、自分には嬉しく思えた。そんな矢先のことだから結構ショック。この前できたばかりのティンバーランド渋谷店も銀座に続き閉店。ダニエルクレミュもJoi'xとは手を切って高級志向に舵を切るらしいし、用達にしていたアパレル店がどんどん消えていくのは誠に遺憾です。
2008年6月11日水曜日
水野晴郎さんが死去 テレビの映画解説で活躍
~東京中日スポーツ~
「いやあ、映画って本当にいいもんですね」の決めぜりふで親しまれた映画評論家の水野晴郎さんが10日午後3時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。76歳。岡山県出身。葬儀は近親者で行う。後日、しのぶ会を行う予定。
1956(昭和31)年、20世紀フォックス映画に入社後、日本ユナイト映画に移り宣伝総支配人として活躍。72年独立して海外映画の輸入配給などを手掛けた。「夕陽のガンマン」など多くの海外映画作品の邦題を決めたことでも知られる。
映画評論家としても活動し、同年始まった日本テレビ系「水曜ロードショー」(後に金曜ロードショー)の解説を97年まで務めた。
映画「シベリア超特急」シリーズの製作、監督、脚本を手掛け、自身も主演。一部で熱狂的な人気を集めた。
83年当時の新自由クラブから参院選に出馬したが落選した。
内外の警察事情にも詳しく「世界の警察」などの著書がある。
>アラを探し出すより、面白いところを見つけて勝手に楽しんでいたほうが、ずっといい付き合い方だ。そんな姿勢を教えてくれたのは、淀川さんと水野さん。「映画は楽しい」。当たり前のことだからこそ、忘れやすくもあるんですな
「いやあ、映画って本当にいいもんですね」の決めぜりふで親しまれた映画評論家の水野晴郎さんが10日午後3時5分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。76歳。岡山県出身。葬儀は近親者で行う。後日、しのぶ会を行う予定。
1956(昭和31)年、20世紀フォックス映画に入社後、日本ユナイト映画に移り宣伝総支配人として活躍。72年独立して海外映画の輸入配給などを手掛けた。「夕陽のガンマン」など多くの海外映画作品の邦題を決めたことでも知られる。
映画評論家としても活動し、同年始まった日本テレビ系「水曜ロードショー」(後に金曜ロードショー)の解説を97年まで務めた。
映画「シベリア超特急」シリーズの製作、監督、脚本を手掛け、自身も主演。一部で熱狂的な人気を集めた。
83年当時の新自由クラブから参院選に出馬したが落選した。
内外の警察事情にも詳しく「世界の警察」などの著書がある。
>アラを探し出すより、面白いところを見つけて勝手に楽しんでいたほうが、ずっといい付き合い方だ。そんな姿勢を教えてくれたのは、淀川さんと水野さん。「映画は楽しい」。当たり前のことだからこそ、忘れやすくもあるんですな
2008年6月10日火曜日
新東京タワーの名称が「東京スカイツリー」に決定

~AV Watch~
~Rising East Project~
東武鉄道株式会社と新東京タワー株式会社は10日、2012年の開業に向けて作業を進めている610m級の「新タワー」の名称を「東京スカイツリー」(TOKYO SKY TREE)に決定した。これに伴い、新東京タワー株式会社の名称も、同日付で東武タワースカイツリー株式会社に変更された。
新タワーの名称は2007年10月から11月にかけて一般公募を行ない、その中から6つの候補を選出。4月1日から5月30日まで、6つの候補から1つを選んで投票してもらう一般投票を実施していた。総投票数は110,419票。候補に挙がっていた名称は以下の通り。()内は今回の得票数。
* 東京スカイツリー(32,699票)
* 東京EDOタワー(31,185票)
* ライジングタワー(15,539票)
* みらいタワー(13,915票)
* ゆめみやぐら(9,942票)
* ライジングイーストタワー(6,426票)
>「東京の御新木」とか「武蔵の高楼」とか「ヤマトタケルノミコ塔」とかいかがでしょう。というか“新(東京)タワー”でいいじゃん。と心底思うんですが、いかがでしょう。
駅で小5男児連れ去り、湯島で解放
~TBS News i~
9日午前7時半頃、荒川区荒川にある東京メトロ千代田線町屋駅の上りホームで、区内に住む小学5年生の男子児童(10)が男に腕をつかまれ連れ去られました。
男子児童はその後、電車に乗せられ、午前8時頃に文京区内の湯島駅で下ろされて、地上に出たところで解放されました。男子児童にけがはありませんでした。
調べによりますと、男子児童は小学校に通うため、兄と一緒に駅のホームにいたところを連れ去られたということです。
男は年齢40歳くらい、身長180センチくらいで水色のシャツに灰色のズボンを着用、男子児童を解放する際に『このネズミ!!』と捨て台詞を残して立ち去ったということで、警視庁は男の行方を追っています。
>町屋は自宅から歩いて5分くらいの、千代田線の最寄り駅。先日の秋葉原で身近と言ってたら、まさかこんな地元でねえ…
9日午前7時半頃、荒川区荒川にある東京メトロ千代田線町屋駅の上りホームで、区内に住む小学5年生の男子児童(10)が男に腕をつかまれ連れ去られました。
男子児童はその後、電車に乗せられ、午前8時頃に文京区内の湯島駅で下ろされて、地上に出たところで解放されました。男子児童にけがはありませんでした。
調べによりますと、男子児童は小学校に通うため、兄と一緒に駅のホームにいたところを連れ去られたということです。
男は年齢40歳くらい、身長180センチくらいで水色のシャツに灰色のズボンを着用、男子児童を解放する際に『このネズミ!!』と捨て台詞を残して立ち去ったということで、警視庁は男の行方を追っています。
>町屋は自宅から歩いて5分くらいの、千代田線の最寄り駅。先日の秋葉原で身近と言ってたら、まさかこんな地元でねえ…
2008年6月9日月曜日
秋葉原通り魔事件
こんな凄惨な事件が、あまりに身近なところで起きたことが衝撃だった。
発生から一時間後くらいにたまたま現場を通った。自転車で有楽町に向かい中央通を南下していたのだ。異変は末広町で気づいた。はじめは昔のヤマギワのような大きい火事だと思った。交差点に近づいてみると溢れんばかりの人だかりで、立ち入り禁止のテープが張られている。野次馬たちを見ると中心はこの交差点に違いない。
おかしいと思って近くの人に聞いてみると、通り魔が通行人を刺したらしいと言う。家に帰るまでその全容は知らなかったが、それを聞いて、その場にいる野次馬たちの、デジカメや携帯で写真を撮る行為が腹立たしく思えてきた。火事ならわからないでもない。しかし実際に亡くなった人も出た事件現場を写して何になるの?
「こんなに緊急車両が集まってんの初めて見た」と言いながら、携帯を構える同じ年頃の奴もいた。一瞬胸ぐら掴もうかと思ったが、すぐに思いとどまる。とどまざるを得ないくらい、周りが(万世橋の上でさえ)、皆々が携帯をかざしていた。本当に多かった。
不謹慎だとか、倫理観がどうだとか、そんな言葉を出す以前の問題でしょ。という考えは、同じ一般的な日本人と必ずしも共有しているものではなく、むしろ個人的な、おれの独りよがりな考えに過ぎなかったのだろうか。圧倒的多数の相手を前にすると、そうとしか思えなくなってくる。つい今まで自明だと思っていた一定の決まりや秩序が実は通用しない(あるいは存在しない)のだ。そう思うと今回の凶悪犯のみならず、周りにいる人間たちさえも恐ろしくなってくる。電車内のモラルの話だって、おれの知らないところに別のルールがあって、単にあれは自分の思い込みを押し付けていただけだったのかもしれないし。
NHKのニュースでも野次馬が携帯で撮った写真を使っていた。別に変わったことではない。今までも確かにそうだったのだんだろう。でもこの動揺っぷりったらない。
世界を見る目がずいぶんと変わった。
発生から一時間後くらいにたまたま現場を通った。自転車で有楽町に向かい中央通を南下していたのだ。異変は末広町で気づいた。はじめは昔のヤマギワのような大きい火事だと思った。交差点に近づいてみると溢れんばかりの人だかりで、立ち入り禁止のテープが張られている。野次馬たちを見ると中心はこの交差点に違いない。
おかしいと思って近くの人に聞いてみると、通り魔が通行人を刺したらしいと言う。家に帰るまでその全容は知らなかったが、それを聞いて、その場にいる野次馬たちの、デジカメや携帯で写真を撮る行為が腹立たしく思えてきた。火事ならわからないでもない。しかし実際に亡くなった人も出た事件現場を写して何になるの?
「こんなに緊急車両が集まってんの初めて見た」と言いながら、携帯を構える同じ年頃の奴もいた。一瞬胸ぐら掴もうかと思ったが、すぐに思いとどまる。とどまざるを得ないくらい、周りが(万世橋の上でさえ)、皆々が携帯をかざしていた。本当に多かった。
不謹慎だとか、倫理観がどうだとか、そんな言葉を出す以前の問題でしょ。という考えは、同じ一般的な日本人と必ずしも共有しているものではなく、むしろ個人的な、おれの独りよがりな考えに過ぎなかったのだろうか。圧倒的多数の相手を前にすると、そうとしか思えなくなってくる。つい今まで自明だと思っていた一定の決まりや秩序が実は通用しない(あるいは存在しない)のだ。そう思うと今回の凶悪犯のみならず、周りにいる人間たちさえも恐ろしくなってくる。電車内のモラルの話だって、おれの知らないところに別のルールがあって、単にあれは自分の思い込みを押し付けていただけだったのかもしれないし。
NHKのニュースでも野次馬が携帯で撮った写真を使っていた。別に変わったことではない。今までも確かにそうだったのだんだろう。でもこの動揺っぷりったらない。
世界を見る目がずいぶんと変わった。
2007年10月9日火曜日
ノリックが交通事故で帰らぬ人に

~Intelli Mark~
世界から愛されたMotoGPライダー、阿部典史選手が7日に亡くなった。
10月7日の午後6時20分ごろ、今年から全日本選手権に復帰していた世界グランプリライダー、ノリックこと阿部典史選手が、神奈川県川崎市の市道で 500ccのスクーターを運転する途中、走行していた片側2車線の道路うちの前方左車線を走行していた輸送会社の4トントラックが違法にUターンをしてきたところに後方右車線側から衝突、約2時間半後に搬送先の病院で帰らぬ人となってしまった。享年32歳だった。
1993年に当時の全日本最高峰クラスであった2ストローク500ccカテゴリにおいて、参戦1年目にして年間タイトルを獲得した阿部選手は、1994年のホンダからのWGPスポット参戦において、ケビン・シュワンツやミック・ドゥーハンを抑える過激な走りで世界中の注目を集め、ノリックの才能に感銘を受けた元世界チャンピオンのウェイン・レイニーの呼びかけにより、その後はヤマハに移籍してWGPライダーとしての活動を開始。最高峰500ccクラスにおいて2000年の鈴鹿での優勝を含む3回の勝利を記録。どんな時にでも、誰にでも屈託のない笑顔で親しみを持って接する姿で知られる阿部選手は、明るく優しく、決して飾ることのない世界のトップライダーとして、世界中のファンからノリックの名で愛され続けていた。
500ccクラスが廃止された2002年以降は4ストローク化されたMotoGP最高峰クラスで活躍し、2005年からの2年間はSBKに参戦。2007年の今年からは全日本に復帰してJSB1000クラスで年間シーズンを戦っており、久しぶりの日本でのレース復帰1年目の今年は鈴鹿8耐にも出場。10月21日には鈴鹿サーキットにおいて全日本の最終戦に出場する予定だった。
MotoGP最高峰クラスで5連覇を達成している現役MotoGPライダーのバレンティーノ・ロッシが彼の大ファンである事も有名であり、ロッシは小排気量時代から、ノリックの典史(のりふみ)の「ふみ」とロッシの名前を合わせ、「ろっしふみがんばって」という日本語の文字を専用のロゴシールにしており、彼の戦う全てのマシンに今でも貼っている。
ノリックは現在でも世界に多くのファンを持ち、今期は全日本を戦う傍らでMotoGPのテレビ解説者を務めるなど、日本では誰よりもファンから愛されたライダーの1人だ。今回の訃報を、全世界のメディアが悲しみと共に報じている。
2007年9月24日月曜日
マルセル・マルソー氏死去

パントマイム界の巨匠として半世紀以上活躍を続けたフランスのマルセル・マルソーさんが22日亡くなった。84歳だった。AFP通信が23日、家族の話として伝えた。シルクハットに赤い花、白塗りの顔の道化師「ビップ」を作りだし、マイムの代名詞的なキャラクターとして定着させた。
1923年、仏ストラスブール生まれ。46年、パリでパントマイム劇に出演、デビューした。47年にはビップを創作して上演。劇団も創設し、49年以降、日本を含む世界各地で公演を重ねた。主な作品に「パリ祭」(56年)などがある。
「沈黙の詩人」、「パントマイムのチャプリン」とも呼ばれた。世界各地のアーティストに影響を与え、歌手マイケル・ジャクソンの「ムーンウオーク(月面歩行)」という振りのヒントになったとも言われる。パリ市の助成でマイム・スクールを開設したり、日本の歌舞伎俳優研修生にマイムの研修を行ったりするなど、若者の育成にも尽くした。
ユダヤ人であることを隠すため、独ナチスの仏侵攻時に姓をマンゲルからマルソーに変えた。独占領軍に対するレジスタンスにも参加。父はナチスのアウシュビッツ強制収容所に送られ、そこで亡くなったという。
~パントマイム界の巨匠、マルセル・マルソーさん死去~ asahi.com
~De Michael Jakson au Japon, tous fans de Marceau~ 20minutes.fr
2007年8月4日土曜日
気になるニュース
NYタイムズを筆頭に、米では新聞各社が紙刷りからネット版に主力を移行し始めた。と新聞に書いてあったのに、朝日のネット版にはその記事が載っていないので、時間があれば記事を要約してここに載せることにする。
以下ほかの気になるニュース
『HMV、日本事業を大和証券系に売却』~元ページ~
英レコード販売大手HMVは31日、62店舗を持つ日本での事業を大和証券SMBC系の投資会社に7000万ポンド(約170億円)で売却すると発表した。HMVは90年、東京・渋谷に1号店を開いて日本に進出。シェアは3位で黒字を維持している。買収するのは大和証券SMBCプリンシパル・インベストメンツが設立した特定目的会社。HMVブランドを利用し続けるかどうかは、大和次第という。
『ラオックス、秋葉原の「ザ・コンピュータ館」閉鎖へ』~元ページ~
家電量販店のラオックスは3日、東京・秋葉原地区のシンボル的存在となっている旗艦店「ザ・コンピュータ館」を9月末に閉鎖すると発表した。有利子負債の削減のため、土地・建物を不動産会社に売却する。03年3月期に約424億円あった有利子負債はこれで完済できる見通しという。同社は首都圏に57店(秋葉原は9店)を持ち、パソコン販売は別の店で続ける。同社は競争激化による不振で04年に投資ファンドの傘下入りして再建を進めていた。「ザ・コンピュータ館」は当時まだ珍しかったパソコン専門館として90年4月にオープンした。
以下ほかの気になるニュース
『HMV、日本事業を大和証券系に売却』~元ページ~
英レコード販売大手HMVは31日、62店舗を持つ日本での事業を大和証券SMBC系の投資会社に7000万ポンド(約170億円)で売却すると発表した。HMVは90年、東京・渋谷に1号店を開いて日本に進出。シェアは3位で黒字を維持している。買収するのは大和証券SMBCプリンシパル・インベストメンツが設立した特定目的会社。HMVブランドを利用し続けるかどうかは、大和次第という。
『ラオックス、秋葉原の「ザ・コンピュータ館」閉鎖へ』~元ページ~
家電量販店のラオックスは3日、東京・秋葉原地区のシンボル的存在となっている旗艦店「ザ・コンピュータ館」を9月末に閉鎖すると発表した。有利子負債の削減のため、土地・建物を不動産会社に売却する。03年3月期に約424億円あった有利子負債はこれで完済できる見通しという。同社は首都圏に57店(秋葉原は9店)を持ち、パソコン販売は別の店で続ける。同社は競争激化による不振で04年に投資ファンドの傘下入りして再建を進めていた。「ザ・コンピュータ館」は当時まだ珍しかったパソコン専門館として90年4月にオープンした。
2007年8月2日木曜日
作詞家・作家の阿久悠さん死去
「北の宿から」「UFO」など戦後歌謡史を彩る多くの名曲を送り出した作詞家・作家の阿久悠(あく・ゆう、本名深田公之=ふかだ・ひろゆき)さんが、1日午前5時29分、尿管がんのため東京都内の病院で死去した。70歳だった。葬儀は近親者で行い、後日「送る会」を開く予定。喪主は妻深田雄子(ゆうこ)さん。連絡先はオフィス・トゥー・ワン(03・3586・2661)。
哀感あふれる演歌からコミカルなポップスまで幅広く手がけた。「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)といった日本レコード大賞受賞曲など、生涯に作詞した曲は5千曲に及ぶ。
37年、兵庫県・淡路島生まれ。明治大文学部卒業後、広告会社で番組企画などを手がけた後の65年、フリーとなり作詞を中心に執筆活動に。
オーディション番組「スター誕生!」では企画、審査員を務め、同番組は桜田淳子、山口百恵、小泉今日子らを生み出した。また小説「瀬戸内少年野球団」は直木賞候補になり、映画化もされた。「『あゝ甲子園』君よ八月に熱くなれ」など高校野球への思いをこめた曲や、阪神大震災からの復興に向けた応援ソングも作った。
01年に腎臓がんの手術を受けた後も活動したが、今年7月上旬から入院していた。
(asahi.com)
~元ページ~
哀感あふれる演歌からコミカルなポップスまで幅広く手がけた。「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)といった日本レコード大賞受賞曲など、生涯に作詞した曲は5千曲に及ぶ。
37年、兵庫県・淡路島生まれ。明治大文学部卒業後、広告会社で番組企画などを手がけた後の65年、フリーとなり作詞を中心に執筆活動に。
オーディション番組「スター誕生!」では企画、審査員を務め、同番組は桜田淳子、山口百恵、小泉今日子らを生み出した。また小説「瀬戸内少年野球団」は直木賞候補になり、映画化もされた。「『あゝ甲子園』君よ八月に熱くなれ」など高校野球への思いをこめた曲や、阪神大震災からの復興に向けた応援ソングも作った。
01年に腎臓がんの手術を受けた後も活動したが、今年7月上旬から入院していた。
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